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12.03 Sat

【短編】会う時はいつも夜の下


 古いアパートのベランダに、ぽつりと灯ったホタルの光を見つけた。
(おじさん、まだ起きてたんだ……)
 驚きと、安堵と、そして幾ばくかの戸惑い。もしもおじさんが起きていなければ、素直に諦めて帰ることが出来たのかもしれない。何故こんな時間に起きているのか。けれどもこの疑問はそっくりそのまま自分自身にも当てはまるものだ。おじさんに尋ねられたなら、僕は上手な回答を提示する自信がなかった。
 吐き出した息が白く濁って辺りを漂う。
 アパート脇の外灯に明かりが点いているのを、ここ数ヶ月のあいだ見た記憶がない。管理をしているのは町なのか、それともアパートの大家さんのほうなのか。けれどもそれが今まさにこの瞬間の僕の心情を表しているようで、僕は少しだけ自嘲的に笑ってしまう。
 ピン、ポーン。
 草木も眠るほどの深い寒空の下で、玄関のチャイムがやけに明るい音を奏でる。それからぴったり25秒。ゆっくりと開けられた焦げ茶色の玄関扉には、しっかりと防犯用のチェーンが繋がれていた。
「……高校1年生がこんな時間に何してんの」
 ふわりと漂う嗅ぎ慣れない匂い。火の点いた煙草を指の間に挟み込んだまま、僕の顔を見て訝しげに眉を潜めたおじさんは、しかしあまり驚いてはいないようだった。そのことに何故だか酷く傷ついた気持ちになる。玄関から覗く狭い廊下には、明かりが点けられていない。昔からいつ訪ねてもそうだった。夜の下、暗がりから顔を出すおじさんはいつだって神経質に扉をチェーンで繋いでいて、僕の姿を目にしてようやくそれを解放してくれる。
「引越し、明日だってお母さんに聞いたんで」
 扉を肘で押さえながら、おじさんは器用に携帯灰皿の中に吸いかけの煙草を押し込んだ。季節外れのホタルの光が消える。僕の言葉に鼻を鳴らしたおじさんが、喜んでいるのか怒っているのは分からない。元より僕はおじさんが笑っている姿をあまり見たことがない。
「それは律儀にありがとう。だけど俺はお前の親父でも、ましてや兄貴でもないんだよ」
「だって……受験勉強とか、いっぱいお世話になったから。それに、昔は「おじさんじゃなくてお兄さんって呼んで欲しい」って言ってたじゃない」
「そんなことはもう忘れたよ」
 おじさんは僕の父親の弟だ。歳の離れた兄弟で、父が20歳の時に僕が生まれたということもあり、僕とおじさんの歳は12歳しか離れていない。自宅から徒歩で15分ほどの場所に一人暮らしをしているおじさんに、中学生の時はよく勉強を教わっていた。帰宅の遅いサラリーマンの父、夜勤で家を空けることが多い看護師の母。司法試験を一発で合格したというおじさんはとても優秀で、優秀が故に残業をすることもなく、夜は殆どひとりでこのアパートにいた。おじさんは試験に受かっても勉強ばかりしていたけれど、僕は自宅でゲームをしているよりも、そんなおじさんと一緒に学校の勉強をしているほうが好きだった。
 ひとりではない、と、感じることが出来たからかもしれない。
 おじさんは明日、東京に引っ越していく。今働いている弁護士事務所よりも大きなところから声を掛けられたのだという。いわゆるヘッドハンティングというやつだ。おじさんは優秀だから司法試験に合格し、優秀だから東京の大きな事務所に引き抜かれ、
 優秀だから、僕の気持ちなんて分からない。
 ひとつ、ひとつ、丁寧に数式を説明しながら数学を教えてくれた。苦手な熟語を覚えられるよう、仕事の休憩時間を使って英単語帳を作ってくれた。そんな思い出も、きっとおじさんはすぐに忘れてしまうだろう。映画を一緒に観に行く約束。欲しがっていた誕生日プレゼント。勉強は人の何倍も得意なくせに、おじさんは他人の言葉をすぐに忘れてしまう。そんなことはもう忘れたよ。そう言って、おじさんはそのうち僕の存在すらも忘れてしまうに違いない。
 午前3時の別れは雄弁だ。全ての思い出が段ボールの中に詰め込まれた空っぽの部屋の中。ベランダでひとり煙草を吸っていたおじさんが見ていたものは何なのか。それを僕が知ることは一生ない。そして、そのほうがきっといいのだろうと僕は思う。
「……おじさん、」
「ん?」
「煙草、一本もらってもいいですか」
 僕の言葉におじさんは一瞬だけ目を見開いて、けれどもすぐにいつも通りの感情の乏しい顔に戻って口を開いた。
「だーめ。お前がちゃんと大人になったら、その時に買ってあげるよ」
 そうしてズボンのポケットから青色のライターを取り出すと、僕の右の手のひらに握らせてきた。おじさんの手はとても大きくて、こんなにも冷たい夜の中だというのに、何故だか酷くあたたかかった。
「……どうせ、すぐに忘れちゃうんでしょう」
 しかしおじさんは僕の言葉には答えずに、ふっと、小さく笑って見せた。
「そろそろ期末試験なんじゃないの。風邪をひく前に、早く帰ったほうがいいよ」
 久しぶりに見た笑顔。同時に目の前で玄関扉が閉ざされて、僕はひとり、午前3時の夜の下に置き去りにされていた。僕は一体何をしにきたのだろう。一体何を期待して、何を言うためにここまでやってきたというのだろう。
 それでも、
 ゆっくりと、おじさんに握らされた手のひらを開いていく。
 100円ショップで買える安物のライター。いつもお守りのように机の上に置きながら、それでも僕はおじさんが煙草を吸っている姿を一度も見たことがなかった。学生の時に禁煙をしたと言っていた。その煙草を今日吸っていた理由、今僕がおじさんのライターを持っているということ。
 僕は少しでも、おじさんの何かになることが出来たのだろうか。
 カン、カン、カン、カン。星がひとつもない夜闇の中、靴の踵が階段を叩く音が響き渡る。
(……寒いなぁ)
 ライターを上着のポケットの中に仕舞い込み、かじかんだ両手にはぁと息を吹きかける。期末試験は明日だ。明日、というよりかは、太陽が昇った後の今日だ。けれどもこれで、心置きなく試験に集中することが出来るだろう。望んでいなくても夜に朝陽が差し込んでくるのとおんなじように。
 もうすぐ高校1年生が終わるという晩冬に、おじさんは僕の街から姿を消した。記憶の中のおじさんは、いつだって暗い夜闇の下に佇んでいる。





季刊ヘキTwitter企画より 第3回お題「3時」
※現在構想中の短編のワンシーン的な習作です。


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